2011年03月23日
稲倉峠越え
赤怒田の福寿草を見た後、行きにバスを降りた化石館まで戻りました。
名前の通り、バス停は四賀化石館の敷地内にあり、松本方面からやってきたバスはここで方向転換し、四賀支所へと向かいます。(四賀支所から来た松本行きバスも同じ) また市営のバスも同じところで発着しています。

往路松本から乗車した10820号車。昨年10月より行われている化石館から四賀支所までの試行運転が4月以降も継続されるのか気にかかるところです。

ところでこの四賀の化石館の立てられた経緯ですが、この付近で昭和63年に地元の小学生によってマッコウクジラの骨格化石が発見されたことをきっかけに、その他旧四賀村内で発掘された化石を展示すべく平成元年に開設されたとのこと。
福寿草まつりに行ったついでといっては何ですが、見学して行きました。
確かにあれだけ古いものがしっかりとした形で残っていることに「すごい」とは思いましたが、もともと考古に興味のない私にはありがたみなどわかるはずもなく、ささっと退館することになるのでした(苦笑)
四賀線は土休日の運行が1日3往復しかないので、このまま待つと次の松本行きは17時台になってしまいます。
それならば…、と考えていたのが稲倉峠越えでした。
事前に調べた内容によると、四賀の七嵐から稲倉まで、現在「林道白張稲倉線」なる名のついたこの道はかつては保福寺街道(東山道)として松本から上田へと抜ける重要なルートだったそうです。
直線距離で計ってみると歩けない距離ではないので、峠越えをすることにしました。
化石館付近から右に折れ、錦部小学校を右手に、集落を山の方へとひたすら上って行きます。
時おり道の分岐がありましたが、迷ったときは携帯電話の地図を用い、とにかく一番広い道をまっすぐゆきました。
高度が上がるにつれ車の通行量も減り(もともとそんなに多くはありませんでしたが・・・)、路面にも雪が目立ちようになります。
登っていく中で広がるアルプスの眺め。これぞまさしく私が見たかった風景です。

その後森林地帯に入り、ところどころ路面の凍結したところも見受けられました。
この日は暖かかったですが、それでもその前の週には雪も降ったようですからそれも無理はないでしょう。
ジグザグ道で展望もきかない舗装道を歩くのはなかなかつらいものでした。
それでも車がまったく通ることがなく、余計な気を遣わなくて済むだけでも気は楽です。
化石館から約1時間で峠へ到着。



もう登りはないと思い感じる解放感(笑)
足取りも軽く後半戦へと入ります。
こちら側は路面への日当たりがよいこともあってか、前半より幾分も歩きやすい道でした。
約40分の時間をかけて稲倉地区へ到着~!

が、しかしです。
ここから松本行きのバスに乗ろうと目論んでいたのですが、10分の差で間に合わずさらにその後も歩くこととなってしまったのです。
幸い天気は気持ちいい晴天。
バスを確実に捕まえられるところまで歩くことにしました。

途中コンビニで水分補給をしつつ、また三才山線のバス停もいくつか撮影しつつ松本へと歩きます。


このバス停読みは「やましろ」ですが、アクセントが前にある独特の読み方をしていたのが印象に残っています。

稲倉からさらに歩くこと1時間。
浅間温泉までたどり着きました。ここまで来れば一安心。
そんなに待つことなく松本行きのバスを捕まえることができ、この日の「遠足」は終わりを迎えました。

余談ですがこのバス停、表記が「松本電鉄」となっています。
最近のものは「松本電気鉄道」が一般的ですが、ここは旧バージョン(赤いバス停)の表記になっているようです。
名前の通り、バス停は四賀化石館の敷地内にあり、松本方面からやってきたバスはここで方向転換し、四賀支所へと向かいます。(四賀支所から来た松本行きバスも同じ) また市営のバスも同じところで発着しています。

往路松本から乗車した10820号車。昨年10月より行われている化石館から四賀支所までの試行運転が4月以降も継続されるのか気にかかるところです。

ところでこの四賀の化石館の立てられた経緯ですが、この付近で昭和63年に地元の小学生によってマッコウクジラの骨格化石が発見されたことをきっかけに、その他旧四賀村内で発掘された化石を展示すべく平成元年に開設されたとのこと。
福寿草まつりに行ったついでといっては何ですが、見学して行きました。
確かにあれだけ古いものがしっかりとした形で残っていることに「すごい」とは思いましたが、もともと考古に興味のない私にはありがたみなどわかるはずもなく、ささっと退館することになるのでした(苦笑)
四賀線は土休日の運行が1日3往復しかないので、このまま待つと次の松本行きは17時台になってしまいます。
それならば…、と考えていたのが稲倉峠越えでした。
事前に調べた内容によると、四賀の七嵐から稲倉まで、現在「林道白張稲倉線」なる名のついたこの道はかつては保福寺街道(東山道)として松本から上田へと抜ける重要なルートだったそうです。
直線距離で計ってみると歩けない距離ではないので、峠越えをすることにしました。
化石館付近から右に折れ、錦部小学校を右手に、集落を山の方へとひたすら上って行きます。
時おり道の分岐がありましたが、迷ったときは携帯電話の地図を用い、とにかく一番広い道をまっすぐゆきました。
高度が上がるにつれ車の通行量も減り(もともとそんなに多くはありませんでしたが・・・)、路面にも雪が目立ちようになります。
登っていく中で広がるアルプスの眺め。これぞまさしく私が見たかった風景です。

その後森林地帯に入り、ところどころ路面の凍結したところも見受けられました。
この日は暖かかったですが、それでもその前の週には雪も降ったようですからそれも無理はないでしょう。
ジグザグ道で展望もきかない舗装道を歩くのはなかなかつらいものでした。
それでも車がまったく通ることがなく、余計な気を遣わなくて済むだけでも気は楽です。
化石館から約1時間で峠へ到着。



もう登りはないと思い感じる解放感(笑)
足取りも軽く後半戦へと入ります。
こちら側は路面への日当たりがよいこともあってか、前半より幾分も歩きやすい道でした。
約40分の時間をかけて稲倉地区へ到着~!

が、しかしです。
ここから松本行きのバスに乗ろうと目論んでいたのですが、10分の差で間に合わずさらにその後も歩くこととなってしまったのです。
幸い天気は気持ちいい晴天。
バスを確実に捕まえられるところまで歩くことにしました。

途中コンビニで水分補給をしつつ、また三才山線のバス停もいくつか撮影しつつ松本へと歩きます。


このバス停読みは「やましろ」ですが、アクセントが前にある独特の読み方をしていたのが印象に残っています。

稲倉からさらに歩くこと1時間。
浅間温泉までたどり着きました。ここまで来れば一安心。
そんなに待つことなく松本行きのバスを捕まえることができ、この日の「遠足」は終わりを迎えました。
余談ですがこのバス停、表記が「松本電鉄」となっています。
最近のものは「松本電気鉄道」が一般的ですが、ここは旧バージョン(赤いバス停)の表記になっているようです。
Posted by みすずかる at 23:57│Comments(2)
│松本・安曇野エリア
この記事へのコメント
こんばんは(^^)/
稲倉峠の遠足(!?)、お疲れさまでした。歩けるモンなんですねぇ(^^;
2つ目の画像に写っている2つのバス停のうち、右側の黄色っぽい方のは四賀村営バス時代のまんまなんですね。看板のてっぺんに描かれているのは平成17年4月に松本市に合併して消滅した旧四賀村の村章です(^^;;;
稲倉峠の遠足(!?)、お疲れさまでした。歩けるモンなんですねぇ(^^;
2つ目の画像に写っている2つのバス停のうち、右側の黄色っぽい方のは四賀村営バス時代のまんまなんですね。看板のてっぺんに描かれているのは平成17年4月に松本市に合併して消滅した旧四賀村の村章です(^^;;;
Posted by ホリデー横浜
at 2011年03月24日 00:33

> ホリデー横浜さん
コメントありがとうございます~。
結構登りが長く真夏や真冬なら嫌になるでしょうが、この日は天気がよく、アルプスの眺めも素晴らしかったので意外と短く感じました。
バス停は四賀村時代からそのままなのですね。
まだ色あせてもいなくきれいだったのでてっきり新設されたものとばかり思っていました(笑)
コメントありがとうございます~。
結構登りが長く真夏や真冬なら嫌になるでしょうが、この日は天気がよく、アルプスの眺めも素晴らしかったので意外と短く感じました。
バス停は四賀村時代からそのままなのですね。
まだ色あせてもいなくきれいだったのでてっきり新設されたものとばかり思っていました(笑)
Posted by みすずかる
at 2011年03月24日 23:25

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