2013年01月31日
グラバー園
三連休の最終日は長崎市内の観光。
三日目にしてようやく朝から晴れてくれましたが、天気予報を見ればしっかりと雪マークも。
帰りの飛行機の時間都合上、14時過ぎには長崎市内を発たなければ間に合わないので、晴れているうちに観光してしまいます。
「長崎といえばこの景色」と言っても過言ではないのはここ、グラバー園ではないでしょうか。



上の写真にある旧グラバー住宅など、洋風建築の建物が複数残されており、いわば「旧居留地」といった観光施設です。
600円の入場料はかかりますが、昔の洋風建築や館内の展示物が充実しておりすべてを見るにはそれなりの時間を要します。
ここでは一部の写真を載せてみます。






天気予報通り、時折雪もちらつきましたが心ゆくまで園内を楽しむことができました。
欲を言えば、もう少し工夫した写真を撮りたかったことくらいでしょうか心残りは。
グラバー園ではゆっくりしすぎました。時計を見れば早くも12時。
この後は近くにある大浦天主堂だけ見て、路面電車の駅へと戻りました。


出島とか浦上天主堂も見たかったですが、これらはいつになるかわからない次回回しとし、残る時間は食事とお土産選びに充てます。
浦上近くにあるお店で名物皿うどんとミニ焼き飯の昼食。
観光客のあまり行かないエリアを狙ったので落ち着いて食事ができました。事前にいろいろ調べた甲斐があったというものです。



食後長崎駅近くで少々お土産を見ているとほどなく14時。
長崎県営バスに乗り、空港へと向かったのでした。

三日目にしてようやく朝から晴れてくれましたが、天気予報を見ればしっかりと雪マークも。
帰りの飛行機の時間都合上、14時過ぎには長崎市内を発たなければ間に合わないので、晴れているうちに観光してしまいます。
「長崎といえばこの景色」と言っても過言ではないのはここ、グラバー園ではないでしょうか。



上の写真にある旧グラバー住宅など、洋風建築の建物が複数残されており、いわば「旧居留地」といった観光施設です。
600円の入場料はかかりますが、昔の洋風建築や館内の展示物が充実しておりすべてを見るにはそれなりの時間を要します。
ここでは一部の写真を載せてみます。






天気予報通り、時折雪もちらつきましたが心ゆくまで園内を楽しむことができました。
欲を言えば、もう少し工夫した写真を撮りたかったことくらいでしょうか心残りは。
グラバー園ではゆっくりしすぎました。時計を見れば早くも12時。
この後は近くにある大浦天主堂だけ見て、路面電車の駅へと戻りました。


出島とか浦上天主堂も見たかったですが、これらはいつになるかわからない次回回しとし、残る時間は食事とお土産選びに充てます。
浦上近くにあるお店で名物皿うどんとミニ焼き飯の昼食。
観光客のあまり行かないエリアを狙ったので落ち着いて食事ができました。事前にいろいろ調べた甲斐があったというものです。



食後長崎駅近くで少々お土産を見ているとほどなく14時。
長崎県営バスに乗り、空港へと向かったのでした。

タグ :長崎県
2013年01月30日
「初」佐賀県
平戸の観光を終え、再び平戸大橋を渡って田平へと戻りました。
何気なくバスで通り過ぎた平戸大橋ですが、平戸周辺の海は潮流の変化が激しく、この橋はこのあたりの人々になくてはならないものだそうです。
さて、たびら平戸口ではギリギリの乗り換えで伊万里行きに乗車。

せっかく一日乗車券を買っているので、遠回りとなる有田経由で長崎を目指し、松浦鉄道を全線制覇しておきましょう。


松浦鉄道の主力MR-600形。
車内は、1両に転換クロス+ボックスシート+ロングシートという3種類の座席が混在するユニークな車両でした。

伊万里で有田行きに乗り換えます。
かつてはJR筑肥線とつながっていましたが、第三セクター転換後分断され今ではそのあいだを道路が通っています。


ちなみに、、、
これが私にとって初めての佐賀県での下車。
特急列車で通過したことはあってもこれまで佐賀県で降りることはなく、今回が記念すべき第一歩?だったのです。
47都道府県、これで下車したことも通ったこともないのは残りただ一つ、
大分県
だけとなりました。

伊万里から有田を経て、早岐、諫早と乗り継ぎ、この日の最終目的地長崎へと辿りついたのは20時半頃。
14年ぶりの長崎です。
何気なくバスで通り過ぎた平戸大橋ですが、平戸周辺の海は潮流の変化が激しく、この橋はこのあたりの人々になくてはならないものだそうです。
さて、たびら平戸口ではギリギリの乗り換えで伊万里行きに乗車。

せっかく一日乗車券を買っているので、遠回りとなる有田経由で長崎を目指し、松浦鉄道を全線制覇しておきましょう。


松浦鉄道の主力MR-600形。
車内は、1両に転換クロス+ボックスシート+ロングシートという3種類の座席が混在するユニークな車両でした。

伊万里で有田行きに乗り換えます。
かつてはJR筑肥線とつながっていましたが、第三セクター転換後分断され今ではそのあいだを道路が通っています。


ちなみに、、、
これが私にとって初めての佐賀県での下車。
特急列車で通過したことはあってもこれまで佐賀県で降りることはなく、今回が記念すべき第一歩?だったのです。
47都道府県、これで下車したことも通ったこともないのは残りただ一つ、
大分県
だけとなりました。

伊万里から有田を経て、早岐、諫早と乗り継ぎ、この日の最終目的地長崎へと辿りついたのは20時半頃。
14年ぶりの長崎です。

2013年01月29日
平戸観光
平戸観光の写真を載せていきましょう。
社団法人平戸観光協会主催のこの市内周遊定期観光は、土日祝のみ催行されるもので、効率的に名所を回るにはもってこいのツアーです。
なんと言っても、平戸城など有料施設の入場料も含んでたったの1000円という料金がお手頃かつ魅力的です。

暖かい時期なら歩いて回ろうと気にもなりますが、この日は本当に寒かったのでバスで移動できるのは大助かりです。
午前・午後と2つのコースがあり、今回は時間の都合上午後のコースに参加。
観光行程は、
(スタート)平戸港交流広場 ⇒平戸城 ⇒ 平戸オランダ商館 ⇒ 川内峠 ⇒
平戸ザビエル記念教会 >⇒寺院と教会の見える風景 ⇒(ゴール) 平戸港交流広場
2時間半でこれらの名所を見て回ります。
まず平戸城へ。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった平戸城ですが、明治初期に解体され、現在あるのは戦後(1960年代)に築かれた復元城です。
ガイドさんの解説付きなので、要所は耳を傾けつつも、メインは城や風景の写真撮影で…。

風は強かったですが、展望台から見下ろす平戸の町並みや海は見事でした。


でもやはりひときわ目立つのは赤い平戸大橋ではないでしょうか。

寒くなってきたところで、次の観光名所、平戸オランダ商館へ!
平戸オランダ商館は、1609年に平戸に設置されたオランダ東インド会社の日本における出先機関(交易拠点)です。初めは江戸幕府から認められたものの、建物の西暦年号が記されているのを口実に幕府から取り壊しが命じられ、その後拠点が長崎の出島へ移されたため、ごく僅かな間だけ存在したここ平戸のオランダ商館。
西暦年号はあくまでも口実であり、実際のところはいろいろな説があるようですね。


何はともあれ、そんな平戸の交易地としての歴史をたどるべく2011年9月にオープンしたこの建物は、1639年築造の倉庫を復元したものだそうです。
こういう歴史的な資料が多く展示されているところが好きな私としては、解説のビデオも含めじっくりと見て行きたかったですが、そこはツアーの辛いところ。
心残りではありますが、腹八分目くらいで館内を後にしました^^;
バスを停める場所がない関係か、一旦スタート地まで歩き、そこから再びバスに乗車。
どんどん高度を上げて向かったのは 川内峠。西海国立公園、平戸地域有数の展望地とも言われる川内峠は晴れていれば大パノラマが広がるそう。
この日は雲が多く、風も強かったので気分だけ味わって早々と立ち去ります。
ああ、せっかく来て5分も滞在しないとはなんともったいない。

などと言っているうちに見れば、スタートから結構時間は経っており、観光コースも終盤へ。
平戸ザビエル記念教会を見て、そのまま平戸港へと徒歩で戻ることとなります。
平戸ザビエル記念教会

寺院と教会の見える風景

寺院と教会がこれだけ近い位置にあり、日本文化と西洋文化が融合したかのような光景が見られるこの場所は、平戸の象徴的とも言えるのではないでしょうか。
少々忙しない観光ではありましたが、平戸の名所を効率的!?に回ることができました。
いやいや、1000円でこれだけ連れて行ってもらって文句を言ってはいけません!
平戸はぜひともまた訪れたい街です。
今度は温かく、天気の良い時にじっくりと時間をかけて回ってみたいと思ったのでありました。
社団法人平戸観光協会主催のこの市内周遊定期観光は、土日祝のみ催行されるもので、効率的に名所を回るにはもってこいのツアーです。
なんと言っても、平戸城など有料施設の入場料も含んでたったの1000円という料金がお手頃かつ魅力的です。

暖かい時期なら歩いて回ろうと気にもなりますが、この日は本当に寒かったのでバスで移動できるのは大助かりです。
午前・午後と2つのコースがあり、今回は時間の都合上午後のコースに参加。
観光行程は、
(スタート)平戸港交流広場 ⇒平戸城 ⇒ 平戸オランダ商館 ⇒ 川内峠 ⇒
平戸ザビエル記念教会 >⇒寺院と教会の見える風景 ⇒(ゴール) 平戸港交流広場
2時間半でこれらの名所を見て回ります。
まず平戸城へ。江戸時代には平戸藩松浦氏の居城であった平戸城ですが、明治初期に解体され、現在あるのは戦後(1960年代)に築かれた復元城です。
ガイドさんの解説付きなので、要所は耳を傾けつつも、メインは城や風景の写真撮影で…。

風は強かったですが、展望台から見下ろす平戸の町並みや海は見事でした。


でもやはりひときわ目立つのは赤い平戸大橋ではないでしょうか。

寒くなってきたところで、次の観光名所、平戸オランダ商館へ!
平戸オランダ商館は、1609年に平戸に設置されたオランダ東インド会社の日本における出先機関(交易拠点)です。初めは江戸幕府から認められたものの、建物の西暦年号が記されているのを口実に幕府から取り壊しが命じられ、その後拠点が長崎の出島へ移されたため、ごく僅かな間だけ存在したここ平戸のオランダ商館。
西暦年号はあくまでも口実であり、実際のところはいろいろな説があるようですね。


何はともあれ、そんな平戸の交易地としての歴史をたどるべく2011年9月にオープンしたこの建物は、1639年築造の倉庫を復元したものだそうです。
こういう歴史的な資料が多く展示されているところが好きな私としては、解説のビデオも含めじっくりと見て行きたかったですが、そこはツアーの辛いところ。
心残りではありますが、腹八分目くらいで館内を後にしました^^;
バスを停める場所がない関係か、一旦スタート地まで歩き、そこから再びバスに乗車。
どんどん高度を上げて向かったのは 川内峠。西海国立公園、平戸地域有数の展望地とも言われる川内峠は晴れていれば大パノラマが広がるそう。
この日は雲が多く、風も強かったので気分だけ味わって早々と立ち去ります。
ああ、せっかく来て5分も滞在しないとはなんともったいない。

などと言っているうちに見れば、スタートから結構時間は経っており、観光コースも終盤へ。
平戸ザビエル記念教会を見て、そのまま平戸港へと徒歩で戻ることとなります。
平戸ザビエル記念教会

寺院と教会の見える風景

寺院と教会がこれだけ近い位置にあり、日本文化と西洋文化が融合したかのような光景が見られるこの場所は、平戸の象徴的とも言えるのではないでしょうか。
少々忙しない観光ではありましたが、平戸の名所を効率的!?に回ることができました。
いやいや、1000円でこれだけ連れて行ってもらって文句を言ってはいけません!
平戸はぜひともまた訪れたい街です。
今度は温かく、天気の良い時にじっくりと時間をかけて回ってみたいと思ったのでありました。
2013年01月28日
平戸へ
江戸時代の貿易と言えば鎖国時代の出島が最も有名ですが、平戸は鎖国以前、短い期間ではありましたがオランダやイギリス、ポルトガル、スペイン(イスパニア)といった国々と交易が行われていたことで知られる地です。
特に、オランダ商館が建てられ、後に鎖国時代へとつながるオランダとの交易関係の始まりともなったことは、意義深い史実です。

この日の午後は、定期観光バスで平戸の観光名所を回る予定を組みました。
ちょうどと言いましょうか、昼前からは晴れ間も見え出し、寒い中にも少し期待できそうな空模様になってくれました。

とその前に平戸のちゃんぽんで腹ごしらえ。
観光はその後です(笑)

特に、オランダ商館が建てられ、後に鎖国時代へとつながるオランダとの交易関係の始まりともなったことは、意義深い史実です。

この日の午後は、定期観光バスで平戸の観光名所を回る予定を組みました。
ちょうどと言いましょうか、昼前からは晴れ間も見え出し、寒い中にも少し期待できそうな空模様になってくれました。

とその前に平戸のちゃんぽんで腹ごしらえ。
観光はその後です(笑)

2013年01月27日
最西端の駅
長崎旅行2日目の朝は曇り。天気予報の晴れマークに期待します。
佐世保から松浦鉄道に乗り、日本最西端の駅、「たびら平戸口」の駅を訪ねました。
といっても目的はここで下車することではなく。平戸への観光が目的です。

日本最西端とは書きましたが、正確には駅というともっと西がありますね。
それはまた次の旅記録での紹介としましょう。
(※一般の2本のレールを使用した鉄道としては今もこの駅は日本最西端)


松浦鉄道の主力MR-600形

松浦鉄道は旧国鉄松浦線を引き継ぐ形で昭和63年に開業した第三セクターの会社。
この「たびら平戸口」の駅ではそんな国鉄時代のなつかしい写真や文書類など資料が所狭しと展示されており、自由に見学することができます。
また、同じく駅では最西端駅訪問記念の入場券やオリジナルグッズなどの販売も行われていました。
平戸へと向かうバスの時間が結構あったので、それまで資料館を見学ししばし時間を過ごします。
とはいえ、小さな駅。少々時間を持て余してしまいました。

1時間ほど待ち、やってきた平戸行きのバスに乗車し、いよいよ目的地へと向かいます。
それにしてもこの日は本当に寒かった。九州でも日本海に近いこのあたりは冬は結構寒くなるようです。
佐世保から松浦鉄道に乗り、日本最西端の駅、「たびら平戸口」の駅を訪ねました。
といっても目的はここで下車することではなく。平戸への観光が目的です。

日本最西端とは書きましたが、正確には駅というともっと西がありますね。
それはまた次の旅記録での紹介としましょう。
(※一般の2本のレールを使用した鉄道としては今もこの駅は日本最西端)


松浦鉄道の主力MR-600形

松浦鉄道は旧国鉄松浦線を引き継ぐ形で昭和63年に開業した第三セクターの会社。
この「たびら平戸口」の駅ではそんな国鉄時代のなつかしい写真や文書類など資料が所狭しと展示されており、自由に見学することができます。
また、同じく駅では最西端駅訪問記念の入場券やオリジナルグッズなどの販売も行われていました。
平戸へと向かうバスの時間が結構あったので、それまで資料館を見学ししばし時間を過ごします。
とはいえ、小さな駅。少々時間を持て余してしまいました。

1時間ほど待ち、やってきた平戸行きのバスに乗車し、いよいよ目的地へと向かいます。
それにしてもこの日は本当に寒かった。九州でも日本海に近いこのあたりは冬は結構寒くなるようです。
2013年01月25日
佐世保観光
11月の旅行記が終わり、続いて12月三連休の長崎方面への旅行記をこれまた簡潔に綴っていこうと思います。
簡潔にまとまるかあまり自信はありませんが(笑)
8月下旬に一気に3回分まとめて飛行機の予約をしていたわけですが、この長崎行きがその最終分となりました。
初日は雨でスタート。長崎なら雨でもネタになるのでしょうが、この日向かったのは佐世保です。
♪ああああ~、佐世保は今日も雨だった
なんていう冗談はおいておき、
雨の佐世保の市内観光をしましたが、景色のよいところで写真を撮りたかった私にとっては、いささか物足りなさが残りました。

JRとしては最西端の駅となる佐世保駅

姉妹都市アルバカーキとの友好の架け橋 アルバカーキ橋

旧海軍、自衛隊の変遷を知ることができる海上自衛隊佐世保資料館 通称「セイルタワー」

戦時中に岩山に掘られた防空壕につくられたという市場 とんねる横丁

佐世保名物 レモンステーキ

ゴシック様式の三浦町教会
昼過ぎまで降っていた雨はいつしか止み、夕刻には晴れ間も出ていました。
翌日の天候に期待したいものです。
簡潔にまとまるかあまり自信はありませんが(笑)
8月下旬に一気に3回分まとめて飛行機の予約をしていたわけですが、この長崎行きがその最終分となりました。
初日は雨でスタート。長崎なら雨でもネタになるのでしょうが、この日向かったのは佐世保です。
♪ああああ~、佐世保は今日も雨だった
なんていう冗談はおいておき、
雨の佐世保の市内観光をしましたが、景色のよいところで写真を撮りたかった私にとっては、いささか物足りなさが残りました。

JRとしては最西端の駅となる佐世保駅

姉妹都市アルバカーキとの友好の架け橋 アルバカーキ橋

旧海軍、自衛隊の変遷を知ることができる海上自衛隊佐世保資料館 通称「セイルタワー」

戦時中に岩山に掘られた防空壕につくられたという市場 とんねる横丁

佐世保名物 レモンステーキ

ゴシック様式の三浦町教会
昼過ぎまで降っていた雨はいつしか止み、夕刻には晴れ間も出ていました。
翌日の天候に期待したいものです。
2012年11月20日
知覧特攻平和会館
武家屋敷付近の店で軽く昼食をとった後、後半の部へ。
知覧の特攻に関する施設の見学をしました。
特攻作戦については、ここで私が稚拙な説明をするまでもないことであるので省略し、いくらか写真を掲載することで見学記録に代えようと思います。
知覧地区はこのように道路の灯篭もいわゆる普通のお地蔵さんではなく、兵隊さんの服を着ています。

「富屋食堂」は特攻の母として慕われた鳥浜トメさんの食堂を再現したもので、映画でも使われたそうです。
館内は鳥浜トメさんの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品、エピソード、手紙などが展示されていました。


ここから特攻平和会館までは距離にして約2kmあり、小雨の降り出した中を歩きます。
30分くらい歩いて平和会館に到達。
さすがに知覧特攻に関するメインの施設だけあり、館内は多くの人でした。
資料映像を観たり、話を聴き、痛ましい歴史事実を改めて学びましたが、訴えるものが何よりも大きかったのは、出撃し亡くなられた方の遺影と肉筆でしたためられた遺書でした。
いろいろ感じたこと、受けた思いはありますが、文字で書くのはどうも薄っぺらい表現になってしまうのでここでは書くことを控えさせて頂きます。

ただ、今の自分よりもはるかに若い人が軍令で出撃し帰らぬ人となったこと。
その方々が、どのような思いで知覧に入り、どのような思いで出撃指令まで過ごし、どのような思いで出撃されたかを考えるだけで苦しいです。
私の中で、再度命の尊さ、今の平和はこうした方々の犠牲の上にあるのだということを再度考えさせられた知覧の平和会館見学でした。
特攻隊員が出撃まで過ごした三角兵舎。

敵から見えないように、松林の中に半地下壕をつくり、地上からは三角の屋根しか見えないつくりになっています。
*********************************************************
ちょっとしんみりした気持ちで会館を後にしましたが、現実に帰らされるのは時間の存在。
帰りの飛行機の時刻までに空港へ行かなければなりません。
雨による渋滞の影響もあり、鹿児島での乗り継ぎも含めギリギリ。
何とかチェックインを時間内に済ませることはできたものの、冷や冷やしました。
11月の鹿児島旅行記は以上で完結。
自分でも書いていて思ったのですが、なんか骨のない仕上がりになってしまい少々反省しています。
昨年もそうでしたが、冬場になるとどうも気持ちが弱りがちで、気力が出ないのであります。
次にまた旅行計画は待っていますが、その前に紅葉の写真をご紹介することにします。
知覧の特攻に関する施設の見学をしました。
特攻作戦については、ここで私が稚拙な説明をするまでもないことであるので省略し、いくらか写真を掲載することで見学記録に代えようと思います。
知覧地区はこのように道路の灯篭もいわゆる普通のお地蔵さんではなく、兵隊さんの服を着ています。

「富屋食堂」は特攻の母として慕われた鳥浜トメさんの食堂を再現したもので、映画でも使われたそうです。
館内は鳥浜トメさんの生涯と特攻隊員とのふれあいの遺品、エピソード、手紙などが展示されていました。


ここから特攻平和会館までは距離にして約2kmあり、小雨の降り出した中を歩きます。
30分くらい歩いて平和会館に到達。
さすがに知覧特攻に関するメインの施設だけあり、館内は多くの人でした。
資料映像を観たり、話を聴き、痛ましい歴史事実を改めて学びましたが、訴えるものが何よりも大きかったのは、出撃し亡くなられた方の遺影と肉筆でしたためられた遺書でした。
いろいろ感じたこと、受けた思いはありますが、文字で書くのはどうも薄っぺらい表現になってしまうのでここでは書くことを控えさせて頂きます。

ただ、今の自分よりもはるかに若い人が軍令で出撃し帰らぬ人となったこと。
その方々が、どのような思いで知覧に入り、どのような思いで出撃指令まで過ごし、どのような思いで出撃されたかを考えるだけで苦しいです。
私の中で、再度命の尊さ、今の平和はこうした方々の犠牲の上にあるのだということを再度考えさせられた知覧の平和会館見学でした。
特攻隊員が出撃まで過ごした三角兵舎。

敵から見えないように、松林の中に半地下壕をつくり、地上からは三角の屋根しか見えないつくりになっています。
*********************************************************
ちょっとしんみりした気持ちで会館を後にしましたが、現実に帰らされるのは時間の存在。
帰りの飛行機の時刻までに空港へ行かなければなりません。
雨による渋滞の影響もあり、鹿児島での乗り継ぎも含めギリギリ。
何とかチェックインを時間内に済ませることはできたものの、冷や冷やしました。
11月の鹿児島旅行記は以上で完結。
自分でも書いていて思ったのですが、なんか骨のない仕上がりになってしまい少々反省しています。
昨年もそうでしたが、冬場になるとどうも気持ちが弱りがちで、気力が出ないのであります。
次にまた旅行計画は待っていますが、その前に紅葉の写真をご紹介することにします。
2012年11月18日
知覧武家屋敷
2日目の目的地として選んだのは知覧です。
指宿からは約70分の所要時間。
ハイバックシートのエアロスター(前扉)は心地良く、ほぼ全道中寝ていました。

さて、知覧といえば、太平洋戦争末期に行われた航空特攻作戦の基地があったことで知られますが、それとは別に、江戸時代の武家屋敷が多く残されており、「薩摩の小京都」と呼ばれるところでもあります。



この日は午後から雨との予報だったので、先に屋外見学となる武家屋敷を見ていくことにしました。
武家屋敷や庭園も見事なものでしたが、その前に目を見張るのはきれいに剪定された生垣。


拝観できる庭園は8箇所あり、共通券500円を初めに買えばすべてパンフレットを見せるだけで入ることができます。

唯一池のある庭園 森 重堅邸庭園

佐多 直忠邸庭園

平山 克己邸庭園
写真はその中から抜粋して載せましたが、どれも手入れは行き届いており、何と言いましょうか風情がありました。どうもこのあたりの知識に乏しく、ふさわしいことばが出てこないので、あまり多くは語れないのが実態です^^;
とはいえ、これらの庭園を気に入ったのは紛れもないことでして、ほらその証拠に武家屋敷をメインで写した写真はほとんどありません(苦笑)
午前中じっくりと時間をかけて見た武家屋敷と庭園。
昼食を摂ってから後半の部へ。
指宿からは約70分の所要時間。
ハイバックシートのエアロスター(前扉)は心地良く、ほぼ全道中寝ていました。

さて、知覧といえば、太平洋戦争末期に行われた航空特攻作戦の基地があったことで知られますが、それとは別に、江戸時代の武家屋敷が多く残されており、「薩摩の小京都」と呼ばれるところでもあります。



この日は午後から雨との予報だったので、先に屋外見学となる武家屋敷を見ていくことにしました。
武家屋敷や庭園も見事なものでしたが、その前に目を見張るのはきれいに剪定された生垣。


拝観できる庭園は8箇所あり、共通券500円を初めに買えばすべてパンフレットを見せるだけで入ることができます。

唯一池のある庭園 森 重堅邸庭園

佐多 直忠邸庭園

平山 克己邸庭園
写真はその中から抜粋して載せましたが、どれも手入れは行き届いており、何と言いましょうか風情がありました。どうもこのあたりの知識に乏しく、ふさわしいことばが出てこないので、あまり多くは語れないのが実態です^^;
とはいえ、これらの庭園を気に入ったのは紛れもないことでして、ほらその証拠に武家屋敷をメインで写した写真はほとんどありません(苦笑)
午前中じっくりと時間をかけて見た武家屋敷と庭園。
昼食を摂ってから後半の部へ。
2012年11月15日
最南端のJR駅
JRの駅で最も北にあるのは5月(と8月)に訪れた「稚内」駅。
そして、最も南にある「西大山」駅にも今回到達しました。

指宿を6時過ぎの始発列車に乗り、約20分。
九州とはいえ、11月の夜明け前は結構寒いものです。

西大山で下りると、開聞岳がそのどっしりした容姿で出迎えてくれました。いい山です。
指宿へと戻る列車が来るまでの30分ほどを過ごします。
さすがに朝早くでは訪れる人も少なく、列車で来た人、車で来た人が合わせて2,3名いたくらいです。



無人駅ではありますが、花壇が設けられ、丁寧に花の手入れがされていたのが印象的でした。
多くの人が訪れるであろうに、ごみもなくきれいな駅、いつまでもこうあって欲しいものです。
やがてやってきた列車に乗り、再び指宿へと戻りました。
<最南端のJR駅:ここからレールは北へとつづく>

さて、これで今年北の端と南の端の駅をそれぞれ訪れたことになりますが、その他はどうかということを記しておこうと思います。
東の端は東根室駅。
ここも下車こそしていませんが、7年ほど前に通りました。
写真としては根室(最東端の有人駅)で撮ったこの一枚。

まだなのは、西の端です。
佐世保駅(JRとして)、たびら平戸口駅。
ここも行けば、自己満足的な「端の駅」訪問はすべて達成することになります。
そして、その訪問計画も近々あるとかないとか?
さらに南であり西である「ゆいレール」の二駅もまた訪問計画が・・・。
そして、最も南にある「西大山」駅にも今回到達しました。

指宿を6時過ぎの始発列車に乗り、約20分。
九州とはいえ、11月の夜明け前は結構寒いものです。

西大山で下りると、開聞岳がそのどっしりした容姿で出迎えてくれました。いい山です。
指宿へと戻る列車が来るまでの30分ほどを過ごします。
さすがに朝早くでは訪れる人も少なく、列車で来た人、車で来た人が合わせて2,3名いたくらいです。



無人駅ではありますが、花壇が設けられ、丁寧に花の手入れがされていたのが印象的でした。
多くの人が訪れるであろうに、ごみもなくきれいな駅、いつまでもこうあって欲しいものです。
やがてやってきた列車に乗り、再び指宿へと戻りました。
<最南端のJR駅:ここからレールは北へとつづく>

さて、これで今年北の端と南の端の駅をそれぞれ訪れたことになりますが、その他はどうかということを記しておこうと思います。
東の端は東根室駅。
ここも下車こそしていませんが、7年ほど前に通りました。
写真としては根室(最東端の有人駅)で撮ったこの一枚。
まだなのは、西の端です。
佐世保駅(JRとして)、たびら平戸口駅。
ここも行けば、自己満足的な「端の駅」訪問はすべて達成することになります。
そして、その訪問計画も近々あるとかないとか?
さらに南であり西である「ゆいレール」の二駅もまた訪問計画が・・・。
2012年11月13日
民宿「たかよし」
今回の鹿児島旅行で泊まったのは民宿「たかよし」。
指宿の駅からは歩いて15分弱、砂むし温泉「砂楽」からも10分以内のところに位置します。

高級旅館やホテルのようなサービスこそありませんが、心のこもったおもてなしを受けとても居心地の良い民宿でした。
そして、何と言っても楽しみは食事。
まずは夕食。
右上の豚しゃぶがまず目に入ります。

きびなごの刺身や、

揚げたてのつきあげ、

とろけるような豚骨煮込み、

どれも美味い!
ついついご飯もたくさん食べてしまいました^^;
ちなみに漬物はこれまた初めて食べた指宿名物のオクラの漬物です。
続いて朝食はこちら。


こちらは品数こそ多くありませんが、盛り付けもきれいで味付けもあっさり。
朝食としては十分満足なものでした。
果たして、温かいもてなしと温泉、美味しい食事、これだけついて一泊二食の値段は、
6,450円!
ここを選んで大当たりでした。
今回は早朝に出掛けたり、朝食後もすぐにチェックアウトしたりとあまりのんびりとはいきませんでしたが、次また来た時はもう少しゆっくり過ごしたい民宿「たかよし」でした。
指宿の駅からは歩いて15分弱、砂むし温泉「砂楽」からも10分以内のところに位置します。

高級旅館やホテルのようなサービスこそありませんが、心のこもったおもてなしを受けとても居心地の良い民宿でした。
そして、何と言っても楽しみは食事。
まずは夕食。
右上の豚しゃぶがまず目に入ります。

きびなごの刺身や、

揚げたてのつきあげ、

とろけるような豚骨煮込み、

どれも美味い!
ついついご飯もたくさん食べてしまいました^^;
ちなみに漬物はこれまた初めて食べた指宿名物のオクラの漬物です。
続いて朝食はこちら。


こちらは品数こそ多くありませんが、盛り付けもきれいで味付けもあっさり。
朝食としては十分満足なものでした。
果たして、温かいもてなしと温泉、美味しい食事、これだけついて一泊二食の値段は、
6,450円!
ここを選んで大当たりでした。
今回は早朝に出掛けたり、朝食後もすぐにチェックアウトしたりとあまりのんびりとはいきませんでしたが、次また来た時はもう少しゆっくり過ごしたい民宿「たかよし」でした。