2012年12月31日
1年の終わりに
結局長い間隔をつくったまま一年の終わりを迎えてしまいました。
いろいろある記事題材は年を越してから書くことになります。
いつもお越し下さる皆様には申し訳ありません。

2012年も残すところあと1時間あまりです。
今年も一年当ブログをごらん頂きありがとうございました。
またどうぞ2013年もよろしくお願いいたします。
いろいろある記事題材は年を越してから書くことになります。
いつもお越し下さる皆様には申し訳ありません。

2012年も残すところあと1時間あまりです。
今年も一年当ブログをごらん頂きありがとうございました。
またどうぞ2013年もよろしくお願いいたします。
2012年12月24日
函館の夜景
函館の夜景と言うと一番に思い浮かぶのは、前回の記事で載せた函館山からの夜景ですが、それ以外でも夜景の美しいところがたくさんあります。
寒さに身がもたないので、たくさんは撮れませんでしたがいくつか載せてみることにします。
但し、夜とは言っても実はこれはまだ18時前後に撮ったものです。日が短いおかげで早めに夜景を撮れました(笑)
①カトリック元町教会

②八幡坂

③西部環状線

④金森赤レンガ倉庫

今回わざわざ重い三脚を持って行った甲斐がありました。
寒さに身がもたないので、たくさんは撮れませんでしたがいくつか載せてみることにします。
但し、夜とは言っても実はこれはまだ18時前後に撮ったものです。日が短いおかげで早めに夜景を撮れました(笑)
①カトリック元町教会

②八幡坂

③西部環状線

④金森赤レンガ倉庫

今回わざわざ重い三脚を持って行った甲斐がありました。
2012年12月22日
函館山夜景
函館に来た大きな目的。
それは日本を代表する夜景の一つ、函館山で夜景を見ることにありました。
一人で行くところでないのでは?という声は聞こえても聞こえません。
11月下旬であれば、日が沈むの時刻も早く、16時半以降には暗くなり17時過ぎから夜景を撮ることが出来ます。
ただ大混雑の覚悟が必要です。
ロープウェーは私が行った時点でもかなり乗車待ちの列は長くなっていましたが、まだ早い段階だったからかさほど待たずに乗ることができました。
でも山上に着いてからが肝心。撮影場所の確保をしなければなりません。
ロープウェーはかなりの頻度で運転されていましたが、上って来る度に満杯の乗客を吐き出していきます。ぐずぐずしていてはいい場所は失われてしまいますから・・・。
最上部の展望台は踏み入れる余地もありませんでしたが、少し下のところで撮影することができました。

それにしても寒かったこと。
手袋ではなく軍手しか持参していなかったので、後半は手の感覚が失われそうでした(苦笑)
でも念願の函館山夜景をみることができ、写真も撮れたことは大きな収穫となりました。
それは日本を代表する夜景の一つ、函館山で夜景を見ることにありました。
11月下旬であれば、日が沈むの時刻も早く、16時半以降には暗くなり17時過ぎから夜景を撮ることが出来ます。
ただ大混雑の覚悟が必要です。
ロープウェーは私が行った時点でもかなり乗車待ちの列は長くなっていましたが、まだ早い段階だったからかさほど待たずに乗ることができました。
でも山上に着いてからが肝心。撮影場所の確保をしなければなりません。
ロープウェーはかなりの頻度で運転されていましたが、上って来る度に満杯の乗客を吐き出していきます。ぐずぐずしていてはいい場所は失われてしまいますから・・・。
最上部の展望台は踏み入れる余地もありませんでしたが、少し下のところで撮影することができました。

それにしても寒かったこと。
手袋ではなく軍手しか持参していなかったので、後半は手の感覚が失われそうでした(苦笑)
でも念願の函館山夜景をみることができ、写真も撮れたことは大きな収穫となりました。
2012年12月21日
木古内駅
現在の木古内駅。
江差線の気動車が交換するシーンですが、奥では新幹線の駅が目下建設中。

2015年度に予定されている北海道新幹線開業時には江差線の電化部分は第3セクター化、非電化区間は廃止される可能性が高いです。
言わば今しか見られない光景。
そんなことを思いながら函館へと戻る列車を待ちました。
やがてやってきた特急列車に乗り函館へ。
雪の吹き付けていた木古内とはうって変わり、函館は穏やかな日差しが降り注いでいました。
江差線の気動車が交換するシーンですが、奥では新幹線の駅が目下建設中。

2015年度に予定されている北海道新幹線開業時には江差線の電化部分は第3セクター化、非電化区間は廃止される可能性が高いです。
言わば今しか見られない光景。
そんなことを思いながら函館へと戻る列車を待ちました。
やがてやってきた特急列車に乗り函館へ。
雪の吹き付けていた木古内とはうって変わり、函館は穏やかな日差しが降り注いでいました。

2012年12月20日
江差観光
江差は江戸時代に北前船が就航し、それは賑わった場所だそうです。
今は静かな町ですが、当時の歴史を今に伝えるに余りある立派な建造物があちこちに残されています。

タクシーの運転手さんによればそんな江差の観光名所といえば、開陽丸が一番とのこと。
そこまでの道中で他にも町の見どころを教えてもらえたので、後は順を追ってそれらをたどればよく、約4時間の滞在時間内で効率的に観光することができました。
まずは開陽丸青少年センターです。入艦券を買い、実物大に復元された開陽丸へ。
入場券や入館券とは言わず、入艦券なのですね~。
近くにある横山家の入場券とセットになった共通券があったので、それを購入。



日本史に疎い私ですが、開陽丸の造られた経緯と歴史上の意義について非常にわかりやすくまとめられており、また展示物や映像資料も見ごたえのあるものでした。
とか言いつつ、映像を観終わった後に少しウトウトしてしまったというのは秘密です。
残念ながら艦内は撮影禁止だったので、何もここではお見せできません;)汗
寒かったですが、眠気退散のために艦外へ。

もともとこの時の見学者は少なかったですが、寒い艦外となると私ひとりでした。
開陽丸を見終わったところで、続いて共通入場券のもう半分「横山家」に向かったのですが、
な、なんと「本日都合により休ませて頂きます」の張り紙が・・・。
なんたるこっちゃ。
そんなことなら共通券なんて買うんじゃなかった。大損です。
納得のいかない気持ちで建物の外観だけ撮影。これを見るとなお内部がどうなっているのか気になります。

気を取り直して、もう一つの目玉「旧中村家住宅」へ。
ここも共通券が売っていましたが、今度はもう一つの郷土資料館が開館しているのがわかっていたので安心して共通券を購入(笑)
ここ、旧中村家は江戸時代から海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋家が建てたもので、後に中村家が譲り受けた店舗兼住居の建物だそうです。

色々と解説をしていただきましたが、なによりも印象に残ったのは4棟からなるという独特のつくりでした。

一見ひとつの建物のように見えますが(少なくとも道路から見ると普通の建物にしか見えません)、主屋、文庫倉、下の倉、ハネダシの4棟から形成されているのです。
裏へ回るのが億劫で屋外からの写真は撮っていませんが、家の敷地から落差のある海浜へ 建物が突き出している「ハネダシ」が特徴です。ちなみにハネダシの部分から上を見るとこのような感じです。

さて、最後に向かったのは旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)。
帰りの列車の時刻まで、あまり時間はありませんでしたが、共通券を買った手前見ずに帰るわけには行きません。

現在では、道内に現存する唯一の郡役所庁舎である旧檜山爾志郡役所。
今から110年以上も前に建てられ、道の施設を経て、平成5年まで江差町の役場分庁舎として使われたとのこと。
修復工事はしていますが、できる限り当時のまま修復されたそうです。
明治時代とは思えないほどの建築物。
でもここの「売り」は外観だけにあらず、館内にもあるのでした。
天井から壁に至るまで貼られた布クロス。



全部で13種類にものぼるのだとか。
明治時代にこれだけの凝ったことをしていたことに驚かされました。
最後は慌しくなりましたが、江差の観光はこれで終了。
「まっ、また来たらいいんだ。」と気持ちを割切って駅へと戻りました。
13時代の列車を逃すとその後の行程が狂ってしまうので、何としてもこれに乗っておかなければならなかったのです。
昼になっても相変わらず寒々とした海を右に見ながら、江差の町を発ったのでした。
次もしまた行くことがあったなら温かいときを選びたいものです。
今は静かな町ですが、当時の歴史を今に伝えるに余りある立派な建造物があちこちに残されています。

タクシーの運転手さんによればそんな江差の観光名所といえば、開陽丸が一番とのこと。
そこまでの道中で他にも町の見どころを教えてもらえたので、後は順を追ってそれらをたどればよく、約4時間の滞在時間内で効率的に観光することができました。
まずは開陽丸青少年センターです。入艦券を買い、実物大に復元された開陽丸へ。
入場券や入館券とは言わず、入艦券なのですね~。
近くにある横山家の入場券とセットになった共通券があったので、それを購入。



日本史に疎い私ですが、開陽丸の造られた経緯と歴史上の意義について非常にわかりやすくまとめられており、また展示物や映像資料も見ごたえのあるものでした。
とか言いつつ、映像を観終わった後に少しウトウトしてしまったというのは秘密です。
残念ながら艦内は撮影禁止だったので、何もここではお見せできません;)汗
寒かったですが、眠気退散のために艦外へ。

もともとこの時の見学者は少なかったですが、寒い艦外となると私ひとりでした。
開陽丸を見終わったところで、続いて共通入場券のもう半分「横山家」に向かったのですが、
な、なんと「本日都合により休ませて頂きます」の張り紙が・・・。
なんたるこっちゃ。
そんなことなら共通券なんて買うんじゃなかった。大損です。
納得のいかない気持ちで建物の外観だけ撮影。これを見るとなお内部がどうなっているのか気になります。

気を取り直して、もう一つの目玉「旧中村家住宅」へ。
ここも共通券が売っていましたが、今度はもう一つの郷土資料館が開館しているのがわかっていたので安心して共通券を購入(笑)
ここ、旧中村家は江戸時代から海産物の仲買商を営んでいた近江商人の大橋家が建てたもので、後に中村家が譲り受けた店舗兼住居の建物だそうです。

色々と解説をしていただきましたが、なによりも印象に残ったのは4棟からなるという独特のつくりでした。

一見ひとつの建物のように見えますが(少なくとも道路から見ると普通の建物にしか見えません)、主屋、文庫倉、下の倉、ハネダシの4棟から形成されているのです。
裏へ回るのが億劫で屋外からの写真は撮っていませんが、家の敷地から落差のある海浜へ 建物が突き出している「ハネダシ」が特徴です。ちなみにハネダシの部分から上を見るとこのような感じです。

さて、最後に向かったのは旧檜山爾志郡役所(江差町郷土資料館)。
帰りの列車の時刻まで、あまり時間はありませんでしたが、共通券を買った手前見ずに帰るわけには行きません。

現在では、道内に現存する唯一の郡役所庁舎である旧檜山爾志郡役所。
今から110年以上も前に建てられ、道の施設を経て、平成5年まで江差町の役場分庁舎として使われたとのこと。
修復工事はしていますが、できる限り当時のまま修復されたそうです。
明治時代とは思えないほどの建築物。
でもここの「売り」は外観だけにあらず、館内にもあるのでした。
天井から壁に至るまで貼られた布クロス。



全部で13種類にものぼるのだとか。
明治時代にこれだけの凝ったことをしていたことに驚かされました。
最後は慌しくなりましたが、江差の観光はこれで終了。
「まっ、また来たらいいんだ。」と気持ちを割切って駅へと戻りました。
13時代の列車を逃すとその後の行程が狂ってしまうので、何としてもこれに乗っておかなければならなかったのです。
昼になっても相変わらず寒々とした海を右に見ながら、江差の町を発ったのでした。
次もしまた行くことがあったなら温かいときを選びたいものです。

タグ :北海道
2012年12月19日
木古内から江差へ
どうもここ最近気持ちが乗らず、更新が滞っていました。
気付けば12月も後半戦。11月の記事は早く書き終えてしまいましょう。
***************************************************************************
木古内で普通列車に乗り換え、1両のディーゼルカーで江差へと向かいました。
廃止の話が出て以来、乗客数は随分増加傾向にあるとのことでしたが、その通り座席はほぼ埋まるようななかなかの好乗車率。
暖かい車内で座っていては確実に眠りこけてしまいそうだったので、あえて私は立つことを選びました。

せっかくの乗車、どの駅もこのように駅名票が撮れればよかったのですが、なかなかそのようなことはなく、記録として残せたのは運賃表に表示される駅名のみとなりました。



神明、ここでは辛うじて写真が撮ることができました。


湯ノ岱、ここはすれ違いのできる有人駅。
駅員さん、寒い中ご苦労さまです!







木古内から1時間少々、左の視界に海が見えると間もなく終点の江差です。
11月も下旬となればすっかり冬の様相の厳しい海。
波のうねる音が車窓にも伝わってくるほどでした。



江差駅到着は9時17分。
駅の撮影、入場券の購入、スタンプ押しをして来た記念を残します。
見ればそのまま来た列車で折り返してしまう人が多かったようですが、せっかくここまで来たからには江差の観光をしておきたいところです。そう簡単に来られる場所でもありませんし・・・。
駅前に止まっていたタクシーに乗り、復元された開陽丸のあるところまで運んでもらいました。
気付けば12月も後半戦。11月の記事は早く書き終えてしまいましょう。
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木古内で普通列車に乗り換え、1両のディーゼルカーで江差へと向かいました。
廃止の話が出て以来、乗客数は随分増加傾向にあるとのことでしたが、その通り座席はほぼ埋まるようななかなかの好乗車率。
暖かい車内で座っていては確実に眠りこけてしまいそうだったので、あえて私は立つことを選びました。

せっかくの乗車、どの駅もこのように駅名票が撮れればよかったのですが、なかなかそのようなことはなく、記録として残せたのは運賃表に表示される駅名のみとなりました。



神明、ここでは辛うじて写真が撮ることができました。


湯ノ岱、ここはすれ違いのできる有人駅。
駅員さん、寒い中ご苦労さまです!







木古内から1時間少々、左の視界に海が見えると間もなく終点の江差です。
11月も下旬となればすっかり冬の様相の厳しい海。
波のうねる音が車窓にも伝わってくるほどでした。



江差駅到着は9時17分。
駅の撮影、入場券の購入、スタンプ押しをして来た記念を残します。
見ればそのまま来た列車で折り返してしまう人が多かったようですが、せっかくここまで来たからには江差の観光をしておきたいところです。そう簡単に来られる場所でもありませんし・・・。
駅前に止まっていたタクシーに乗り、復元された開陽丸のあるところまで運んでもらいました。

2012年12月10日
江差線を訪ねて
三連休初日午後の飛行機で新千歳空港に飛んだ今回の旅。
目的地函館方面へと向かう移動手段は特急列車になるので、事前にこれを準備しておきました。

事前発売のみの3日間乗り放題パス。
自由席特急も乗り放題で3日間18,000円という優れものです。
4回までは指定席にも乗れるということで、南千歳から函館まで「北斗」の指定席を利用。
連休なのでそれなりに混んでいるとは予想していましたが、実際はそれ以上。私が乗っていた車両について言うと、東室蘭まではほぼ全席うまっているような状態でした。

この日は函館駅近くのホテルにチェックインし、行程終了。
翌日に備えます。
****************************************************************************
翌朝の出発は7時24分の 特急「スーパー白鳥」20号で。
これから向かう先が今回の旅の目的の約半分を占めていると言っても過言ではありません。
木古内で特急列車を下車し、普通列車に乗り換え。
函館を先に出発してここで待っていた江差行きです。

既に色々なところで話は明るみに出ていますが、現在建設中の新幹線が函館まで到達した際に廃止になるであろう江差線の木古内-江差間。
報道があってから徐々に「早めの」乗り納めをする人も増えつつあるそうです。
言わば私もその一人。廃止間近となっては普段着姿の路線には乗れないと思い、まださほど混雑しない今のうちに江差線を訪れることにしたのでした。

目的地函館方面へと向かう移動手段は特急列車になるので、事前にこれを準備しておきました。

事前発売のみの3日間乗り放題パス。
自由席特急も乗り放題で3日間18,000円という優れものです。
4回までは指定席にも乗れるということで、南千歳から函館まで「北斗」の指定席を利用。
連休なのでそれなりに混んでいるとは予想していましたが、実際はそれ以上。私が乗っていた車両について言うと、東室蘭まではほぼ全席うまっているような状態でした。

この日は函館駅近くのホテルにチェックインし、行程終了。
翌日に備えます。
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翌朝の出発は7時24分の 特急「スーパー白鳥」20号で。
これから向かう先が今回の旅の目的の約半分を占めていると言っても過言ではありません。
木古内で特急列車を下車し、普通列車に乗り換え。
函館を先に出発してここで待っていた江差行きです。

既に色々なところで話は明るみに出ていますが、現在建設中の新幹線が函館まで到達した際に廃止になるであろう江差線の木古内-江差間。
報道があってから徐々に「早めの」乗り納めをする人も増えつつあるそうです。
言わば私もその一人。廃止間近となっては普段着姿の路線には乗れないと思い、まださほど混雑しない今のうちに江差線を訪れることにしたのでした。
